Mahimaの日記

「いのちを祝う」をテーマに、アクセサリー制作、ボディワーク、月一OPENのBarなどを営むMahimaの日記。

私の故郷は。

私の故郷は、ここ、東京都、練馬区の、この場所だ。

いま、実家に戻っている。


私はずっと、無意識に自分の故郷が

会津若松

だと思っていた。

そこは、母の故郷で、父の故郷でもある。

母は、母の姉と同級生だった父と結婚したので

故郷は2人の共通項。

2人は今だに仲良く昔話もしょっちゅうしているが、

それはもう同級生、幼馴染同士の会話だ。


さて、私はというと、

小さい頃からなぜか家にいるよりも

会津若松にある母方の祖父母の家に行きたがり、

実際に幼稚園就園前は、祖父母の行き来に合わせて長いこと行っていたり、小学生になってからは、夏休み、冬休み、になれば

同じく会津若松にある叔母の家でほぼ過ごしていた。

同じ年の従姉妹がいたから、それはそれは楽しくて、

気さくで陽気な叔母の家がとにかくいこごち良くて

それは高校生くらいまで続いたように思う。


だから、気がつけば私は会津弁のネイティヴになっており、

さらに、自分の故郷は

会津若松だと無意識にインプットしていたように思う。


でも、よーく考えてみると、おかしな話で、

その会津若松の地は、母と父の故郷であり

私の故郷ではないのだ。


もちろんルーツ、ではある。

あるのだけれど、

生まれ故郷、という意味合いで言えば

まったくちがう。


私が生まれたのは、ここ。

東京都練馬区〇〇町。


それが、今日、天祖神社へお参りしていて

フッと、身体に落ちてきたのだ。

 

しょっちゅう訪れていたはずの小さな神社。

でも、この体感は初めてだ。


そうだ、私の祖はここなんだ。

この土地なんだ、と。


すると、私の中に、とても大きな力が

流れ込むような、

静かに力が漲るような、

そんな感覚が湧いてきた。


ああ、私は本来の故郷とコネクトしてなかったんだな。


このところ、コロナのおかげで

じっくりと自分の実家の周りを散歩することが増えた。


あてもなく、行きたい方にてくてくと。

すると、自然に導かれるのは、

道祖神が祀られているところや、

縄文時代から家があったという、

神聖な場所だったりして、

それが、とても身体のそこから安心するというか、

気持ちがよくて、日々歩いていたのだけれど、

今日初めて散歩の終わりに天祖神社へたどり着いた。


そこで自分の土地の祖と、ようやく出会えた感覚。


この場所で、育ててもらい、この場所で生かされてきたんだ。

両親が安心して私を育んでくれた場所

こころから感謝が溢れてきた。

と同時に、

どこか、ジプシーのように、

いつも旅にでているようなそんな感覚、

それはいつも身にうっすら纏わりつく

どこかなんとなく不安、みたいなもの。

それも、どうやら変わりそうだ。


そして、

私はこの土地に長い間住まってきたいのちや、

長い時間をかけて、それこそ地球が生まれてから、この場に重ねられた幾層ものさまざまな存在に

いま、なんだかようやく迎え入れてもらい、

とっても応援されているような感覚がしている。

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(縄文時代からある住居跡近く。

公園になっていてとっても落ち着く、、、)