いのち、ってなんなんだ①
最近、"いのち"ってなんだろう、ってことを
考えています。
いのちを祝う
いま、これが私の活動のテーマです。
私がここで言う
いのち
っていうのは、
この世に生きている、そのもの、そのこと、
なんですが、
もっとこの
いのちを祝う
という言葉に込めた私の思いを
言葉に落とし込みたいなぁ、と
思って思案しています。
そんな中、ふと、昔のメモが出てきたので
そのまま載せてみたいと思います。
これは、今年の4/21
写真家の斎藤陽道さんの個展
『神話 三年目』を観た後にメモした文章です。
私の"いのち"という言葉へ抱く意味が
にじみ出ていると思ったのです。
(以下メモ)
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死んでしまうんだ!
圧倒的なこの1つの事実。
そんなこと頭ではわかっていたのに
この事実がこんなにもやりきれず、
受け入れがたく悲しくやりきれない。
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昼間観た斎藤陽道さんの写真はどれも
死が色濃く匂っていた。
それは退廃的な【死】ではなく
眩いばかりの【生】が写っていたからだ。
その両方が、現実的な時間としてくっきりと
写されている。
しかし、同時にそこには
永遠にかわることのない
【いのち】そのものの輝きも
重なりあっている。
永遠のひかりとしてのいのちの輝きと
いつか時間が経てば必ずこの世界から消え去る
物質としてのいのちの輝きが
写真には写っていた。
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夜、台所でふと椅子に座ったとき、
突如
「死んでしまうんだ
今目に見えるものは
全てが消えてなくなる」
という事実がふいに
腑に落ちて
嗚咽してしまった。
ひとしきり泣いて天井を見上げたら
小さな虫がとまっていた。
あぁ、あの虫も、私もおんなじだな。
今、にただいる、それだけ。
そして、その瞬間
「いま、ここに生きている」
という事実も、また、私の中で
くっきりと!リアルに
たちあがってきたのだ。
なんということだろう。
いま、生きているという、ただ、このこと。
いま、生きていること、その圧倒的な事実。
よろこび、という言葉さえも超えるような
宇宙のことわりの中の真実。
いのち、これがいのちということなのか。
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(メモ終わり)
生きていることって、それだけで
祝福なんだよ、って思っている私なのですが、
そこにはどうも死がワンセットであるのだなぁと
またメモを見て思いました。
このテーマは続きます。ずっと。