Mahimaの日記

「いのちを祝う」をテーマに、アクセサリー制作、ボディワーク、月一OPENのBarなどを営むMahimaの日記。

当たり前のように受け取っていたもの。

こんばんは、Mahima です。

 

再来月、私の父方の祖母の

33回忌をすることになったと

今日父から伝えられました。

 

もうそんなに経つのか、と

あまり、思い出すことも多くなくなっていた

祖母とのことが一氣に蘇りました。

 

その祖母の名は千代。

私が物心ついた頃にはもう腰が曲がっていて、

でもどこか矍鑠として、

いつも着物を小ざっぱり着ていた

小さいおばあちゃん。

 

普段は新潟の父の兄の家に住んでいて、

東京に来るのは年に数回。

来た時には必ず近くにあった和菓子屋さんに

手を繋ぎながら、すあまやお赤飯を買いに行く、

それが小ちゃい私は本当に楽しみだった。


あるとき、おばあちゃんが

部屋の隅で新聞紙を広げ、

その上で上半身を伏せて

白髪あたまの髪を梳きながら

なんの話の流れか忘れたけれど、

「かよちゃん、わたしも気分は二十歳の頃のままなんだよ」

と明るく言ったのだ。

わたしは多分小学生で、

その言葉にびっくりしたのだった。

ちょっと怖いような、びっくり。


だって、私にとっておばあちゃんは

もう最初からおばあちゃんだし、

とくにこの千代ばあちゃんは、

見た目もいわゆる昔のおばあちゃん、という感じそのもので、

着物を着ていて腰が曲がっていて、

 

二十歳の頃があったことすらも

想像できないし、


ましてや、そんな若い頃の気持ちを

その年まで持ち得ることも

全く想像できなかった。


でも、今なら心のそこからわかる。

歳をとると、その過去のどんな気持ちも

自分の中に残っていて

心の年齢と、肉体年齢は

どんどんと乖離していくことが。


千代ばあちゃんは、わたしがまだ

子供の頃になくなっているから

交わした会話にしても、そんなに多くはないと思う。


でも、とっても大切な時間を

過ごしていたんだなぁって

今改めて感じる。

そして、たくさんの豊かなものを

受け取っていること。


それは千代ばあちゃんの在り方そのものからも。

いいとか悪いとかじゃなく、

もう脈々と流れているもの

受け継いでいるもの含めて。

 


たとえば

のびのびと美しい文字で

とお手紙をくれたものだった。

小さい頃は全てひらがなで。

大きくなってからも、

お小遣いと一緒に便箋にしたためられた

美しい文字と、

そこへこめられた私への愛も

たくさん受け取っていたのだなぁと

今改めて感じます。


わたしの名前は千代ばあちゃんがつけてくれたんだった。


大切な名前。

今は大好きな名前。


最後の法要、久しぶりの再会のように

なんだか楽しみです。

 

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おばあちゃんー!

わたし元気に生きてるよ!

 

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